2009年03月30日
大和朝廷時代。綾部は非常に栄えた地域でしたが、その傍らに修行を目的とした場所が形作られました。その中心地となったのが君尾山 光明寺でした。綾部の中心街より北東に上林街道を20分ほど走ると二股の交差点に行き当たります。
一方は東舞鶴に下る道で、もう一方は福井県境から小浜に到着する道です。今は通ることが出来ませんが丹南市美山町に抜ける道があり丹後、舞鶴から京都に抜ける街道でもありました。最近周辺が整備され「あやべ温泉」には宿泊施設もあり、「二王公園」にはスポーツ施設があり、スポーツやハイキングなどのアウトドアレジャーが満喫できます。
・・・・秋葉権現の古びた祠の前を通り過ぎると、段をなし重なる山田が谷川に沿って奥につづく。道がふたてに別れ、光明寺に通じる山道は鬱蒼たる杉や桧の木立の中に入っていく。山肌を熊笹や羊歯が被い、石清水がチョロ、チョロと音をたて山道を濡らしている。蕗の花が咲き、椿の赤い花が深い緑の中に美しい。
道は急坂に険しく右に左に折れ登る。下の谷からうぐいすの鳴き声が幽かに聞こえ、石仏が木の根を枕に凭れるように立つ、山道を足を滑らせ、息を切らせ千体地蔵堂に辿りつくと、大木の繁みの間から、青空がのぞき、小さな堂に日が射し込む。頭上に啄木鳥が大木を啄く甲高い音がひびき、見上げる目に午後の日射しを浴びて朱色の仁王門が美しく山門の偉容を現し建つのが見える。
両脇の金剛力士の顔が日射しに赤く照り凄んで見えるこの仁王門は、鎌倉時代に再建され、度重なる戦乱に耐えてきた三間二面の、二重入母屋造りで、赤青の彩色が美しく、往古の姿をそのままに保たれ、今は国宝に指定され訪ね見る人が多いという。
塔門に入ると歴代僧都の墓石が並び、左側は谷を見下ろす視界がひらけもう尾根である。
山上はさすがまだ肌寒く、桜の蕾もかたい林を、なだらかな登りの坂道がつづき、やがてこの寺の庫裡から飼犬の吠えるのが聞こえる。不揃いに積み重ねられた石段を一段一段登りつめて、光明寺境内に入る。
山の中腹にある境内は、山側は大木が被い重なり奥山深く原生林がどこまでも続き、谷側は急斜面に谷を見下ろし、上林谷が一望できる崖上にある。
静寂とした境内には、千手観音をおさめ、静かに扉を閉ざす本堂が、辺りを支配するかのように大きな屋根を広げて建ち、聖徳太子、聖宝理源大師を祀る開山堂、鐘楼、宝篋印塔が配されて建っている。
この世をも 浮きも洩らさぬ しるしには
わがかけすめる みたらしの水
と御詠歌ににうたわれる君王山光明寺は、仏教興隆の詔が出されて七年後、推古天皇七年、(西暦599年)に聖徳太子によって創建されたという古い寺である。
白鳳元年に大和葛木山で呪術により、鬼神を操ったという役小角がここを訪れ修験道の道場としたとも伝えられ、本堂の裏山にある小さな行者堂には小角の霊が祀られている。
三国岳の高峰が連なるここ君王山は、延喜年間に入り、密教道場の最適の場所として醍醐寺の開祖聖宝理源大師が荒廃した道場を再興し、大峯、金峯山と並び真言密教の道場とし、全国より多くの修験者を集めたという。山上山下に七十二坊を築き、上林七里ケ谷をその寺領に治めたという。(「ホームページ」丹の国 綾部より抜粋)